[ (1) のつづき ] 山田は少年の突然の問いかけに、思わずまばたきをした。星？ 知ってるかって？ 「まぁ……名前くらいはな」 そう答えながら、久しぶりに夜空を見上げた。暗闇のキャンバスに散りばめられた星々。子どもの頃はよく見ていた気がするが、大人になってからは意識すらしなくなっていた。 少年は満足げに頷いた。 「そっか。おじさん、ちゃんと見てるんだね」 「……どういう意味だ？」 「大人って、あんまり空を見ないでしょ？」 山田は返す言葉が見つからなかった。確かに、最後に空をじっくり眺めたのはいつだっただろう。少年は続ける。 「僕、天文学が好きなんだ」 そう言うと、彼はリュックの中から小さな星座早見盤を取り出した。手慣れた様子でくるくると回しながら、星座の位置を確認している。 「今の時期、あそこに見えるのは夏の大三角形。知ってる？」 少年が指さした先には、ヴェガ、アルタイル、デネブの三つの星がきらきらと輝いていた。山田は、懐かしい響きに驚いた。 「ベガとアルタイルって、七夕の星だよな」 「うん。でもね、本当はこの二つ、すごく遠くにあるんだよ。彦星と織姫が年に一度会うっていうの、地球からの見た目の話で、本当は何光年も離れてるんだ」 そう言って、少年は少し寂しそうに笑った。 「会いたくても会えない、っていうのは……僕たちが勝手に作った話なんだけどね」 その言葉が、不意に山田の胸に突き刺さる。 「……お前、家出か？」 少年は一瞬目を丸くしたが、すぐに小さく笑った。 「バレた？」 「まぁな」 「ちょっとお父さんと喧嘩してさ。僕のこと、どうでもいいのかなって思っちゃったんだよね」 どこか他人事ではない言葉だった。山田は心の奥に封じ込めていた記憶を呼び起こされるような気がした。 「バカだな」 ぽつりと呟くと、少年はふくれっ面になった。 「なんで？ おじさんには僕の気持ちなんて分からないでしょ？」 「いや、分かるよ。俺も同じことを考えたことがあるからな」 夜風が少し強くなった。星たちは変わらず輝き続けているのに、地上にいる自分たちは、こんなにも小さく、脆く、揺らいでいる。 少年は口をつぐみ、また空を見上げた。 「ねえ、おじさん」 「ん？」 「おじさんの好きな星って、ある？」 山田は不意を突かれた。好きな星？ そんなこと考えたこともなかった。だが、少しだけ考えてから、ぽつりと答えた。 「……オリオン座のベテルギウス、かな」 「赤い星だね。もうすぐ爆発するかもしれないって言われてる」 「ああ。でも、今俺たちが見てるその光は、何百年も前に放たれたものだ。もしかしたらもう、とっくに死んでるのかもしれない」 少年は黙って聞いていた。そして、ぽつりと呟く。 「……でも、光は残るんだね」 山田は、その言葉の意味を噛み締めるように、もう一度夜空を見上げた。 [ (3) につづく ]