私の名前は綾。27歳。いわゆる腐女子である。 この言葉を口にするたび、少し照れくさい気持ちになる。でも、それは決して後ろめたさからじゃない。むしろ誇りに近い。 書店の文庫コーナーに立ち、私は新刊のBLコーナーを物色していた。蛍光灯の光が本の背表紙を優しく照らす。指先で背表紙を撫でながら、目当ての作品を探す。 「ああ、やっぱり完売か...」 探していた『月光の囁き』が見当たらない。作家・水城海斗の最新作だ。SNSで話題沸騰中の彼の作品は、いつも入荷後すぐに売り切れてしまう。 私がBLにハマったのは高校生の時。親友の千春が「これ、めっちゃ良いよ！」と貸してくれた一冊がきっかけだった。 最初は戸惑った。男性同士の恋愛なんて...と。でも、読み進めるうちに、その繊細な感情描写に魅了されていった。 性別を超えた純粋な愛。社会の壁。葛藤。それでも前を向こうとする強さ。そんな要素の全てが、私の心を震わせた。 「あの...すみません」 物思いに耽っていた私の耳に、低く落ち着いた声が届く。振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。 身長180センチはありそうな長身。黒縁メガネの奥に、優しそうな瞳。整った顔立ちながら、どこか儚げな雰囲気を漂わせている。 「今の『月光の囁き』をお探しでしたか？」 「え？ ええ、そうですけど...」 その瞬間、私の心臓が大きく跳ねた。この人の声、どこかで...。まさか。 テレビやSNSでたまに見かける、あの水城海斗本人では...？ 「実は...私、水城海斗です」 私の目が丸くなる。手が小刻みに震える。大好きな作家との予期せぬ出会いに、心臓が爆発しそうだ。 「あの...！私、『月光の囁き』以外の作品も全部読ませていただいてます！特に『深海の星屑』は何度も読み返して...」 言葉が滝のように溢れ出す。私の熱量に、水城さんは優しく微笑んだ。 「ありがとうございます。よかったら、この後お時間ありますか？」 書店を出て、近くの小さなカフェに来た。窓際の席に腰掛け、私は自分の紅茶カップを見つめる。向かいには水城さんが座っている。現実とは思えない状況に、まだ心臓がバクバクと鳴っていた。 「綾さんはBL作品の何に魅力を感じますか？」 「え？あ、はい...。それは...」 私は少し考えて、言葉を選ぶ。 「登場人物たちの、揺れ動く気持ちとか...社会の中で生きていく勇気とか...そういうものに心を打たれます」 水城さんは静かに頷いた。彼の瞳の奥に、何か深いものが宿っているように見えた。 「実は...私自身がゲイなんです」 突然の告白に、私は息を呑む。でも、それは驚きではなく、深い共感だった。 [( 2 )につづく]