私は翡翠（ひすい）。 森の中で「翡翠の冠を戴く娘」と呼ばれる私だが、自分が特別な存在だと思ったことは一度もない。ただ、この翠の髪や澄んだ瞳が、森の人々にとって特別な意味を持つことは知っている。それでも私にとって、この髪はただの髪。この瞳もただの瞳。私の中で何かが宿っているなどと考えたこともなかった。 その日、私はふいに聞こえた「声」に導かれ、森の奥深くへと足を運んだ。 早朝の薄明かりが木々の隙間からこぼれ、周囲を夢幻のように照らしている。花の香りが風に溶け込み、蝶のような光の粒が私の周りを飛び交っていた。 私のドレスは、この森そのものを纏ったかのようだった。 柔らかなピンクと淡いブルーが幾重にも重なり、金の装飾が刺繍された布が光を受けて輝いている。その細工は、まるで古の魔法使いが織り上げたかのような精巧さだった。頭には小さな冠――翡翠を中心に据えた金細工の装飾品が輝いている。 だが、この華やかな装いが持つ意味を私は知らなかった。 これが私をどこへ導こうとしているのか、その答えを知りたいという思いだけが胸を満たしていた。 森を進むほどに、周囲の雰囲気は変わっていった。 薄紫の霞が木々を覆い、微かなざわめきが耳に届く。まるで森そのものが生きているかのようだった。私は呼吸を整え、慎重に歩を進める。 「翡翠よ、ここに来るのを待っていた」 突然、背後から声が響いた。振り向くと、そこには誰もいなかった。 恐怖と好奇心が胸の中でせめぎ合う。私は恐る恐る声のする方へ進んだ。足元の草花がきらめきを放ち、私を導いているかのようだった。 森の奥深くで、私は伝説の「真実の鏡池」を見つけた。 その水面は静かに揺らぎ、私の姿を映している――いや、そこに映るのは私ではなかった。 鏡池に映るのは、私が知らない「もう一人の私」。 彼女の表情は厳しくもどこか優しく、翠の髪は光を帯びて揺れている。私は手を伸ばしたが、触れる前に彼女が口を開いた。 「お前は誰だ？」 その問いに答えられず、私はただ立ち尽くしていた。すると、彼女の瞳が光を放ち、池の水面が裂けるように波立った。 「翡翠よ、運命を知りたければ、この先へ進め」 次の瞬間、森が震え、目の前に巨大な石碑が現れた。 青白い光を放つその石碑には複雑な文様が刻まれ、見ているだけで頭が痛むほどの圧迫感があった。しかし、なぜかその文様が私に語りかけてくるような感覚があった。 私は恐る恐る手を石碑に触れる。すると、胸の奥に無数の光景が流れ込んできた。 それは、古の精霊たちが森を守るために行ってきた長い歴史、そしてその役割を私が引き継ぐべきだという真実だった。 「私は精霊王の末裔……？」 混乱する私の耳に、遠くから足音が響いた。振り向くと、赤いマントを羽織った男が立っていた。彼の顔にはどこか余裕のある笑みが浮かんでいる。 「ずいぶん真剣な顔をしているな、翡翠の娘よ」 彼の声はどこか軽薄に聞こえたが、その目には鋭い光が宿っていた。 「誰？」 私は思わず問いかけた。彼は肩をすくめながら答える。 「ただの旅人だ。ただし、同じものを探している仲間かもしれないな」 その言葉に疑念が浮かぶ。 「同じもの……？」 彼は意味深な笑みを浮かべ、石碑の向こうを指差した。 「そこに、お前が求める真実がある。だが、それを得るには代償が必要だ」 その言葉が意味するものは何なのか。私は知らない。 しかし、答えを知るために進むべき道は決まっていた。 「私の真実が……そこにあるのね」 その先に何が待っているのか、私にはまだわからない。 それでも、足を止めるわけにはいかない――この森の奥で、私を待つ真実と運命を掴むために。