あの日のことを、今でも鮮やかに思い出せる。 部屋のドアを開けた瞬間、潮風が一気に飛び込んできた。私の薄紫のTシャツの裾がふわりと揺れて、胸元のカラフルな幾何学模様が太陽の光を弾く。ショートパンツから伸びる脚に触れる風は、どこか気まぐれで、夏らしい無邪気さを感じさせた。 目の前には、エメラルドブルーの海が輝いている。空はどこまでも澄んでいて、遠くの山々が淡く霞む。椰子の葉が風に揺れて、砂浜には忘れられたビーチボールが転がっている。その中に、ぽつんと置かれたデスク。スマホとノート、そしてお気に入りのピクセルアートのカードが散らばっている。こんな風景の中で迎える一日は、静かで穏やかなはずだった。 そう、あのメッセージが届くまでは。 *** 「Pixieからの招待状を受け取りますか？」 スマホを手に取った瞬間、画面に現れた奇妙な通知。差出人は「Pixie」と書かれていて、アイコンは懐かしい8ビット風の笑顔の顔文字。少し考えたけど、どこか冒険心が刺激されてしまった。 指先で「受け取る」をタップした瞬間、画面が眩しい光に包まれる。心臓がドクンと鳴り、世界が揺らぐ感覚に目を閉じた。次に目を開けると、私の周りはすっかり変わっていた。 目の前に広がるのは、まるでピクセルアートで描かれた世界。海も空も、そして足元の砂までもがカクカクしている。潮の香りは変わらないけれど、風の音がどこか電子音のように耳に響く。不思議な既視感とともに、私は呆然と立ち尽くしていた。 「ようこそ、ピクセル・ワールドへ！」 振り向くと、目の前には光る球体が宙に浮いていた。その声は軽快で陽気。「君にはこの世界を救ってほしいんだ！」 「えっ、どういうこと？」 混乱する私に、球体はくるくると回転しながら答えた。「この世界はバグに侵されているんだ。それを直せるのは君だけさ！」 「なんで私？」と問い返すと、球体は少しおどけた調子で言った。「だって君、夏の冒険が似合う顔してるからね！」 冗談みたいな理由に呆れつつも、どこか悪い気はしなかった。この世界を探索するうちに、私は次第にその奇妙な魅力に引き込まれていった。 *** ピクセルの世界は、現実の海辺の町をそっくり模倣している。青い波が輝き、遠くの山々が静かに佇む。だけど、ところどころ不自然なところがある。波がフリーズしたり、空に歪んだ穴が開いていたり。 「まずは、あのバグを修正するんだ！」 球体が指さす先には、砂浜に埋もれたコンピュータがあった。画面には乱れたコードが表示されている。少し触るだけで、世界が一瞬きらめき、正常に戻る瞬間があった。それを繰り返しながら、私は徐々にこの世界の「バグ」を修復していった。 *** 探索を続ける中で、私は不思議な少女と出会う。彼女は長い三つ編みを揺らしながら歩いてきて、どこか憂いを帯びた瞳でこちらを見つめた。「あなたが来るのを待っていたわ。」 彼女は、かつてこの世界を作った創造者だったらしい。でも、ある日突然、「バグ」によって世界の均衡が崩れ、彼女はこのピクセルの中に閉じ込められたと言う。 「最後のバグを直してくれたら、私は自由になれる。お願い。」 その声には切実さがあった。私は彼女の言葉を信じ、旅を続けることを決めた。 *** 最終的なバグは、山の頂上にあった。夕暮れの光がピクセルの空に差し込み、オレンジと紫のグラデーションが広がる中、私は慎重にコードを修正していく。 やがて、世界全体がきらめくように変化し、少女が柔らかな笑みを浮かべながら消えていった。「ありがとう。これで私も、この世界も解放されるわ。」 目の前が再び光に包まれ、私は元の部屋に戻っていた。波の音がリアルに聞こえる。机の上には、小さなピクセルアートの貝殻がひとつだけ残されていた。 これは夢じゃない。確かに、あの夏の奇跡の一部だ。 私はそっと微笑む。この夏は、まだ終わらない気がしていたから。