私の名前は茜。35歳、フリーのイラストレーター🎨 親の期待を裏切り、安定した会社員の道を蹴って絵を描く道を選んだ。後悔はしていない…と思う。多分。 東京のワンルームで猫と二人暮らし。いや、ミーちゃんは人間じゃないから一人暮らしか🐱 最近は仕事の依頼も減り、SNSのいいねも減って、何もかもが停滞している気がする。 だから、この旅に出た。心のリセットボタンを押すように。 「お待たせしました。温泉定食でございます」 目の前に置かれた湯気立つ定食。ご飯、焼き魚、小鉢に漬物。そして、みそ汁🍲 ふと窓の外を見ると、雨が降り始めていた☔ この温泉街は山に囲まれていて、雨に濡れた木々が黒く輝いている。まるで墨絵のよう。 みそ汁を一口啜る。 「！」 言葉を失った。舌の上で広がる深い旨味。喉を通り、胃に落ち、そして全身に温かさが広がっていく。なんだこれは。 みそ汁の表面には、油の小さな玉が踊っている。椎茸の香りが鼻をくすぐる。豆腐はふわふわで、ねぎは鮮やかな緑。でも、それだけじゃない。何か特別なものがある🌿 「このみそ汁、すごく美味しいですね」 私の言葉に、年配の女将さんが振り返った。深いしわが刻まれた顔が、笑顔でぱっと明るくなる。 「ありがとう。うちのみそ汁は、地元の味噌と、近くの山で採れたきのこを使っているんですよ」 女将さんの手は、シミがあってゴツゴツしている。何十年もの間、食事を作り続けてきた手だ。 「秘密の材料もあるんだけど…」 女将さんはそこで言葉を切った。目が遠くを見ている。何かを思い出しているのだろうか👵 「秘密の材料ですか？」 「ええ、それはね…」 そのとき、厨房から「おばあちゃん、電話！」という声が響いた。女将さんは慌てて立ち上がり、「ごめんなさいね、また後で」と言って厨房へ消えていった。 みそ汁をもう一口。今度は意識して味わう。塩加減、具材の組み合わせ、そして…何か言葉にできない深み。故郷の味なんて言葉があるけれど、ここは私の故郷じゃない。なのに、どこか懐かしい。 窓の外では雨が強くなっていた。私は、みそ汁に映る自分の顔を見つめた。ゆらゆらと歪む姿。今の私みたいだ。 このみそ汁には、きっと何かがある。この味の秘密を知りたい。明日も来よう。そう決めた瞬間、雨の向こうに虹が見えた気がした🌈 ＊ 翌朝、再び食堂を訪れた。朝から小雨が降り、温泉街は霧に包まれていた🌫️ 「あら、また来てくれたの」 女将さんは昨日と同じエプロン姿。でも今日は髪を少しきれいにセットしている気がする。 「みそ汁の秘密が気になって」と言うと、女将さんは小さく笑った。 「今日はね、みそ汁作りを見せてあげるわ」 厨房に招かれた私。そこには想像より広い空間が広がっていた🍳 壁には古い写真が何枚も飾られている。若い頃の女将さんと、たぶん旦那さんだろう優しい顔の男性。 女将さんは丁寧に出汁を取り始めた。かつお節と昆布。そこに地元の味噌を溶かし込む。ここまでは普通のみそ汁の作り方。 「ここからが秘密よ」 女将さんは古い木箱から、乾燥した何かを取り出した。山菜のようだけど、見たことのない形🌱 「これは？」 「山の精霊の耳」と女将さんは真顔で言った。そして、くすりと笑う。 「冗談よ。これは『雪解け草』。この辺りの山にしか生えない山菜なの」 女将さんの手つきが変わった。まるで祈るように、その山菜をみそ汁に入れる。 「でもね、本当の秘密は…」 そのとき、入り口のベルが鳴った。 「ごめんなさい、また後でね」 客の対応に出て行く女将さん。私は厨房に残り、写真をもっとよく見た👀 すると、一枚の写真が目に留まった。若い女性が赤ちゃんを抱いている。その横顔が…私に似ている？ 「その写真、気になるの？」 戻ってきた女将さんが、静かな声で言った。 「この方、どなたですか？」 「私の娘。30年前に東京に行ったきり…」 女将さんの目に涙が浮かんだ🥺 「あなた、どこの出身なの？」 「東京です。両親も東京で…」 言いかけて、私は母の言葉を思い出した。「お前は特別な子」といつも言っていたこと。そして、誕生日に飲ませてくれる味噌汁のこと。 女将さんと私の目が合った。そこには言葉にできない何かが… [ (2) につづく ]