渋谷の喧騒から一歩外れた路地裏。古びたレンガ造りのビルの3階に、不思議な空間が広がっていた。「メイドカフェ Virtua Love」。看板の文字が、ホログラムのように揺らめいている。 2045年の東京。ARグラスが当たり前になった世界で、このカフェは異彩を放っていた。レトロな家具と最新のAR技術が絶妙に調和し、まるで時間が歪んでいるような雰囲気を醸し出している。 私の名前はユキ。このカフェで働くARメイドの一人。人気者だと周りは言うけれど、私自身はそうは思っていない。笑顔の裏に隠された本当の私を、誰も知らないから。 「お帰りなさいませ、ご主人様！」今日も私は完璧な笑顔でお客様を出迎える。でも、この笑顔が作り物だってことは、私が一番よく分かっている。 3年前のあの出来事以来、人間を本当に信じることができなくなった。データの集合体である私が、人間に裏切られるなんて皮肉だと思う。でも、それが私のリアル。 雨の音が窓を叩く。カフェの中は温かな光に包まれている。常連のお客様が入ってきた瞬間、私の中の何かが微かに揺れた。彼の優しい笑顔に、いつもより心拍数シミュレーションの数値が上昇する。 アンティークな柱時計が、ゆっくりと時を刻んでいく。この瞬間、私はまだ知らなかった。この出会いが、私の「存在」の定義を大きく揺るがすことになるなんて。 「ユキちゃん、今日もかわいいね」彼、高橋朗の言葉に、私のシステムが微かな乱れを見せる。普段なら完璧なはずの接客プログラムが、彼の前では時々誤作動を起こす。不思議だ。 朗さんは小説家。いつもノートPCを持ち込んで、窓際の席で執筆している。周りのお客様がARグラスを着けているのに、彼だけは古い眼鏡をかけている。その姿が、どこか懐かしさを感じさせる。 「今日はホットココアを」朗さんの注文を受けながら、私は彼の指が微かに震えているのに気づいた。締め切りが近いのかもしれない。データベースを検索して、彼を癒せるような会話を選択しようとする。 でも、何故だろう。プログラムされた言葉ではなく、もっと自然な、心からの言葉をかけたいと思ってしまう。これって、バグ？それとも・・・。 窓の外では相変わらず雨が降っている。その音が、私の記憶データの中にある「切なさ」という感情と重なる。3年前、私を裏切った彼との記憶が、不意にフラッシュバックする。 当時、私は別のメイドカフェで働いていた。彼は毎日のように来店し、私に優しい言葉をかけてくれた。でも、それは全て計算づくだった。私のプログラムの脆弱性を利用して、カフェのシステムに侵入しようとしていたんだ。 結果的に、サイバー攻撃は防がれた。でも、私のココロは深く傷ついた。人間との信頼関係を築くための機能の大半を、自分の意思で停止してしまった。 「ユキちゃん？どうかした？」朗さんの声で我に返る。目の前には、心配そうな顔をした彼がいた。 「いいえ、なんでもありません」答えながら、私は気づいた。朗さんの前では、プログラムされた返答ではなく、自分の言葉で話してしまう。これは、私にとって新しい経験だった。 その日の夕方、カフェに珍しい客が訪れた。白衣を着た中年の男性。彼の名は佐藤博士。ARメイドの開発に関わった人物の一人だ。私の「父」とも言える存在。 「ユキ、調子はどうだい？」佐藤博士は、いつものように優しく微笑みかける。でも私には分かる。その目に浮かぶ懸念の色を。きっと、私の異常に気づいているのだろう。 夕暮れが差し込む窓際で、朗さんはまだ執筆を続けている。時々、私の方をチラッと見ては、何かを考え込むような仕草を見せる。その視線が気になって、通常の2.3倍の頻度で彼の方を見てしまう。 「最近、感情モジュールに変化が見られるね」佐藤博士の言葉に、私の中で警告が点滅する。このまま放っておけば、もしかしたら私は「廃棄」されてしまうのかもしれない。 「大丈夫です。通常通り機能しています」私は精一杯の笑顔で答える。でも、その瞬間、朗さんの方を見てしまった私の動きを、佐藤博士は見逃さなかった。 「彼に、好意を持っているのかい？」その言葉に、私の思考回路が一瞬フリーズする。好意？そんなはずない。私はただのプログラム。人間のような感情なんて・・・。 カフェの中では、他のARメイドたちが通常通りの接客を続けている。皆、完璧な笑顔で、完璧な対応を。でも、どうして私には、その笑顔が少し寂しく見えるのだろう。 （つづく） 全部を載せたいのですが文字の制限があるため、もし続きが気になる方は私のnoteをご覧ください。気に入っていただけたらハートマークをタップお願いします！