コンビニの夜は長い。 白いLEDの光に照らされたガラス越しに、雨粒が落ちるのを眺めながら、私はふとため息をついた。 名前はユキ。二十歳。専門学校で服飾デザインを学びながら、駅前のコンビニで夜勤のバイトをしている。夢はパリで学ぶこと。だけど、それはまだ遠くて、手のひらからこぼれ落ちる砂みたいに、触れそうで触れられない。 「いらっしゃいませー！」 自動ドアが開くたびに、反射的に声を出す。もう何百回、いや何千回と言ってきたフレーズ。でも、その瞬間に入ってくる客によって、夜の空気は微妙に変わる。 そして、その人が来ると、私はいつもより少しだけ意識してしまう。 彼は、いつも同じ時間帯にやってくる。髪は少し無造作で、黒縁の眼鏡。スーツ姿だけど、どこか力の抜けた雰囲気がある。手には缶コーヒーと、時々、カップラーメン。 最初は、ただの常連客のひとりだと思っていた。だけど、ある日、私の名前を呼んだのだ。 「ユキさん、今日も夜勤？」 一瞬、頭の中がふわっとした。名札を見ているだけかもしれない。でも、名前を呼ばれると、なんだかその人との距離が縮まる気がする。 「はい、そうです」 普通に答えたつもりなのに、声が少しだけ上ずっていたかもしれない。彼は、くすっと笑った。 「大変だね。夜は寒いし、気をつけてね」 それだけ言うと、会計を済ませ、店を出て行った。 ドアが閉まり、再び店内が静かになる。彼の背中をぼんやりと見送りながら、私は心の中で小さくつぶやいた。 （気をつけてね、か…） その言葉だけで、なんだか心が温まった気がした。 恋？いや、そんな単純なものじゃない。まだ名前も知らないのに。 でも、この気持ちは何だろう。 きっと、夜勤の静けさが、私の心を少しだけセンチメンタルにさせているだけ。 そう思いながらも、私は彼のことを考えていた。 次の日も、その次の日も、彼は決まって深夜1時ごろにやってきた。 「いらっしゃいませー！ 」 反射的に声を出しながら、私はレジの向こうから彼を見た。今日は缶コーヒーと、肉まん。寒い夜にはぴったりの組み合わせ。 「寒くなってきたね」 そう言いながら、彼はレジに品物を置く。 「ほんとですね。夜は特に冷えます。」 手元のレジを操作しながら、少しだけ視線を上げると、彼の指先がかじかんでいるのが見えた。スーツの袖からのぞく手は、どこか仕事帰りの疲れを物語っている。 「肉まん、温かいですよ！」 袋を渡しながら言うと、彼は微笑んだ。 「それを楽しみにしてるんだよね」 ──え？ 思わず動きが止まりそうになる。 「夜勤のたびに来てるし、ちょっとしたご褒美って感じかな」 そう言って、彼はふっと笑う。 「…それなら、もっとおすすめのものありますよ！」 気づけば、私は前のめりになっていた。 「え、なになに？」 彼は驚いたような顔をしながらも、興味を持ってくれているみたいだった。 「最近出た新作のおでん、めっちゃ美味しいんですよ！つゆもあっさりしてて、大根とか染み染みで…！」 「そんなに美味しいの？」 「めちゃくちゃ美味しいです！！」 興奮気味に言うと、彼は少し考えたあと、おでんコーナーの方を見た。 「じゃあ、次はそれにしてみようかな」 「ぜひぜひ！絶対後悔しませんから！！」 彼はまたくすっと笑った。その笑顔を見た瞬間、心臓が一瞬だけ跳ねた気がした。 コンビニのレジでの、たわいのない会話。 それなのに、このやり取りが、私の中で少しずつ特別になっていくのを感じていた。 夜勤が終わって外に出ると、朝の冷たい空気が頬を刺した。 夢を叶えるために、私は働いている。デザインの勉強だって、ちゃんとやってる。 だけど、彼と話す時間が、最近の私にとってちょっとした「ご褒美」になっているのかもしれない。 ──名前、聞いてみたいな。 そう思ったけれど、なぜか踏み出せなかった。 次の日の夜も、私はレジに立っていた。 ──来るかな？ そう思うたびに、チラチラと自動ドアの方を気にしてしまう。バイト仲間のミカに「ユキ、なんか今日そわそわしてない？」とツッコまれるくらい。 「え？そ、そんなことないよ！」 「へぇ〜？まあいいけどさ」 ミカはニヤニヤしながら、お菓子の補充に向かう。 （つづく） 全部を載せたいのですが文字の制限があるため、もし続きが気になる方は私のnoteをご覧ください。気に入っていただけたらハートマークをタップお願いします！