私は、この場所が好きだった。ビルの隙間からわずかに射し込む薄い光が、金属の壁に反射して白い筋を作る。この街は、いつも何かが壊れていて、何かが錆びている。壁の一部は剥がれ、雨に濡れた跡がまだ残っている。そんな無機質で荒廃した風景が、私の居場所を形づくっていた。無言の街、無言の人々。そして、私もまた無言で佇んでいる。 私の名前はアオイ。黒いフード付きのパーカーを着て、ポケットに手を突っ込んで立っている。この服は私の鎧みたいなものだ。無駄な装飾もない、ただシンプルで、周りに溶け込むための道具。フードをかぶると、他人の視線から逃れられるような気がする。顔は見えないし、見られたくもない。私の目は淡い青で、まるで冷たく輝く氷のようだと、何度か言われたことがある。でも、その青い目の中には何も映っていない。ただ空っぽの、冷たい光だけがある。 街の音は遠くに霞んでいる。車のエンジン音、遠くで聞こえる雑音、そして風の音。それらがすべて混ざり合って、無音に感じる。私が立っているこのビルの陰には誰も来ない。人がいない場所を探すのは得意だ。誰かと話す気力なんて、もうとっくに失ってしまったから。人と関わるたびに感じるのは、虚しさと疲労感。友達なんて呼べる存在もいない。みんな、私に興味を失って、いなくなっていった。 家族も同じだ。忙しさに追われる親は、私の存在を忘れたように見える。学校でも、私はただの空気みたいな存在で、誰も話しかけてこないし、私も話しかけない。それでいいと思っていた。むしろ、そうでないと耐えられない。人の期待に応えることも、人の感情を受け止めることも、もう疲れ果ててしまった。 時折、周りの人が楽しそうに笑っているのを見ると、ふと自分が異質な存在に思えてくる。まるで、自分だけが別の次元に存在しているような錯覚。それでも、誰かに話を聞いてほしいとか、寄り添ってほしいという気持ちは湧いてこない。そんな弱い自分を見せることなんて、恥ずかしくて仕方がない。だから、私はここに立っている。ただの影のように、何も考えずに、何も感じずに。 私が唯一感じられるものは、空気の冷たさと、それが肌に刺さる感触だけだ。この冷たさが、私がまだここにいることを教えてくれる。どこかに行きたいと思っても、行く場所なんてないし、帰る場所も、私にはもう意味を持たない。 一歩前に出ると、私の影が壁に映る。何も特別じゃない、ただの影。私自身が、こんな無意味な存在であることを実感する瞬間だ。でも、その感覚がどこか心地よい。誰にも認識されない安心感。それが私にとって唯一の慰めだ。 照りつける光が徐々に薄れていくと、私の影もまた消えていく。そんな瞬間、ふと、自分がこの街に吸い込まれていくような気がした。私はこの街の一部であり、この街もまた私の一部だ。誰にも見られない、誰にも気づかれない存在。それでいい、そう思っていた。 でも、本当はどうなのか、私自身にもわからない。 ----- この投稿、気に入っていただけたら嬉しいです！ハートマークタップで応援してね！